コジローが5月4日に、突然、虹の橋に逝ってしまいました。
本当に突然過ぎて、心の整理がつきません。
これは、亡くなる2日前の、5月2日の朝に撮った写真です。
大好きなコジパパと日向ぼっこしながら、満開のマーガレットと一緒に写真を撮りました。
マーガレットの後は、バラと一緒に・・・。
コラコラ、コジロー、葉っぱは食べちゃダメだよ。ーーーまったく、ヤンチャなんだからぁ〜。
そんな感じで、いつも通り、なんの病気の兆しもなく、元気いっぱいで過ごしていたのに・・・。
この写真から2日後の、5月4日。
いつもの日課で、夜9時にケージから出してあげると、いつものように私達が見守る中、嬉しそうな声を上げながらエサをついばみました。
まるで、「美味しいよ、美味しいよ♪」って言っているかのように・・・。
私もキッチンからそれを見ながら、「コジロー、お利口さんねー」って言うと、ますます張り切って食べていた感じでした。
その日は、赤粟穂もコジパパの手から食べ、お腹いっぱいになった様子でした。
その後、コジパパの膝に乗り、毛繕いしたり、甘える仕草をみせた後、夕食の後片付けを終えた私がコジローを腕にのせると、いつものように「カキカキして」と目で訴えてきたので、頭や顔を念入りにカキカキしてあげました。
そして就寝時間の10時になった時、自ら私の腕を降り(コジローは夜、10時になると時計を見て、そわそわし出します)、いつも通りコジパパのところに「トコトコトコ・・・」と歩いて行ったので、「コジローがそっちに行ったよ」と言いました。
コジローはコジパパの肩にのって、ケージに連れて行かれるのを日課にしているからです。
するとコジパパが、「あれ? コジロー・・・?」と言ったので、(またテーブルの下に探検に行ったのかな?)と思ったら、コジパパが今まで聞いたことのない声で、
「コジロー、コジロー!! コジママ、コジローが・・・」と、叫びました。
慌ててそばに行くと、コジパパの手には動かなくなったコジローがいました。
コジパパから私の手に渡されたコジローに、「コジロー、コジロー!!」と叫びながら心臓をマッサージしたり、口に息を吹きかけたりして、「死んじゃダメ! 戻ってきて、コジロー!」と何度も何度も呼びかけました。
コジパパも同じようにして、二人で何度も何度も、コジローが息を吹き返してくれるのを信じて、繰り返しました。
1時間が過ぎ・・・2時間が過ぎ・・・
だんだんコジローの身体が硬くなってきたのを感じ、もうダメかもしれないと思いました。
何が起こったのか、なぜ、こんなことになったのか、これは現実なのだろうと思いながらも、ウソであってほしいと思いました。
神様は、どうしてこんなことをするのですか・・・と言ってしまったりしました。
あまりに突然のことで、信じられなくて、涙も出ません。
ただただ、コジローが息を吹き返してくれるのではないかと、そればかりを信じていたのです。
ずっとずっとコジローを手にして、撫でたり、頬をつけたり、匂いをかいだりしました。
コジローの、ポップコーンのような良い香りが、もうしなくなっていました。
ずっと手の中にいたコジローを、ワインの木箱に横たえました。
現実を受け入れなければ・・・と思いました。
あの時、コジパパのところに行ったコジローは、コジパパの足元を通り過ぎたので、(また探検に行ったのか?)とテーブルの下を覗き込んだところ、コジローが両翼を広げ、伏せた状態から、一瞬のうちにバンッ!とひっくり返って仰向けになって、床に横たわったので、慌ててコジローを手にし、上記のように叫んで私を呼んだのです。
その間、ほんの10秒・・・いや、そんなにも掛かってなかったと思う。
本当に一瞬の出来事でした。
コジパパは、コジロー自身は長く苦しんだわけではないので、その点では救われたのではないかと。
そして、私たち二人揃って最期を看取ってあげられたのは不幸中の幸いだったのではないか・・・と言いました。
コジローの遺体を前にして、いつまでもいつまでも頭をなでていたかったけど、コジパパが「可愛かったコジローが、だんだんやつれていく姿は見るに忍びないし、6日は友引だから、5日に埋葬しないと。」と言いました。
私はコジローを火葬したくないと思いました。
なぜなら、コジローを叱る時、「そんなことしたら、”焼き鳥”にしちゃうよ!」と冗談で言っていたから、もし火葬にしたら、コジローが(悪い事をしたから、焼かれちゃったんだ)と勘違いしたら可哀想だと思ったからです。
そして、出来れば近くに埋葬して、魂はそこになくても、コジローがそばに眠っていることを心の支えにしたかったのです。
そんなことをコジパパに伝えたら、「窓から見えるコーネリア(コジローが一緒に写っていたバラ)の花壇の一角をお墓にしよう」ーーーと言ってくれて、次の日から二人でお墓作りに取り掛かりました。
花壇の一角を掘り、レンガやブロックで土を抑え、綺麗な川砂を敷きつめてコジローの遺体が入った木箱を横たえました。
そして、セメントで軽く封をしました。
あまり重いと、コジローが可哀想だから・・・と、コジパパ。
そして、いつ生き返っても、すぐに助けてあげられるように・・・って。
お墓はコジパパがほとんど作ってくれましたが、私も墓標の字に色付けしたり、粘土でバラの花を作ったりしました。
お墓をつくっている間は作業に没頭することで、気が紛れて良かったと思います。
そしてお墓が出来上がりました。
いつもコジローと一緒に眺めていた居間の窓から見えるところに、コジローのお墓を作ることが出来ました。
これでコジローも寂しくないんじゃないかと・・・。
コジローはもう「虹の橋」に逝ってしまってそこに居なくても、コジパパと私は、そこにコジローが眠っているということで、どこか安堵することが出来ます。
コジローのことを思い出したら、いつでも帰ってきてくれそうな気がして・・・。
墓標の裏側には「Forever in our hearts」ーーー「永遠に忘れないよ」という意味の言葉を記しました。
あれから20日が過ぎましたが、ふと気がつくと、何か病気の予兆があったのではないかとか、コジローが病気を隠していたのではないか、あの時ああしていれば、こうしていれば・・・と、自分を責めたり、心の整理がつかなくて、どうしてこんなことになってしまったのか、私たちに何か落ち度があったのか、本当に神様はどうして・・・と、頭の中では、繰り返し、繰り返し、そんな思いが駆け巡り続け、心が苛まれます。
発作的に胸が苦しくなったり、悲しくなったりしてしまうのです。
コジパパは、「考えないようにしている。」と言い、強がっていますが・・・。
そして、コジローが亡くなってから10日ぐらい経った時、それまで観る気力がなくて放置していた、コジローの生前最期の動画をカメラからPCに取り込んで観たのです。
それは、亡くなる2週間前に撮った、コジロー6歳のお誕生日をお祝いした動画でした。
亡くなる直前も、こんな風に嬉しそうな声を出して、エサをついばんでいました。この動画を観て、コジローは、我が家の子になって、きっと幸せだったに違いないーーーそう思えたのです。
コジローが亡くなった直後、神様のことを恨む発言をしましたが、コジローは6年前に死んでいてもおかしくない病状だったことを思い出し、もしかしたら、神様は私たちのために、今までコジローを生かして下さったのかもしれないと思いました。
コジローは、ハコベや、北海道のノッコさんが送って下さった「野ビエ」や「チモシーグラス」が大好きでした。
コジローは毛繕いが下手で、最期まで尻尾がギザギザだったね。
でも、そんなコジローが私たちは大好きだったよ。
コジロー、6年間の楽しい思い出をありがとう。
コジローがいてくれて、私たち、本当に幸せだったよ。
ペットが死ぬと「虹の橋」という所に逝くそうですね。
そして、生前の飼い主が、いつか天寿を全うした時に「虹の橋」に行くと、そのペットに再会出来るといいます。
私たちも、いつかまた、きっとコジローに会える日が来るでしょう。その日まで、もう悲しまないで、しっかり生きていかないといけませんね。
コジローはもう痛みもなくて、きっと虹の橋でも幸せに暮らしているのでしょうから。。。
これでコジローのブログも終わりにしたいと思います。
ただ、幼児期の「ビタミンB1欠乏症」や「メガバクテリア症」を克服した闘病記が、どなたかの参考になればと思い、ブログはこのまま閉鎖しないでおこうと思っています。
今までコメントを下さったり、仲良くして下さった皆様に、心から感謝しています。
どうか皆様の大事な家族であるオカメインコが、コジローの分まで幸せに、そして元気で長生きしますように、心よりお祈り申し上げます。
本当に、どうもありがとうございました。
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